a

神道では、極まりない世界をあえて圏(○)で顕し、その中心を一点(・)であらわした形象を鑑とし、「神ながらの道:在るがままの道」としています。 世界中同根で、全ては真ん中の一点、始まりであり終わりであるところ(真理)に根源があります。 孔子の孫・子思の「中庸」に・・・天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。 《解釈》天の命ずるをこれ性と謂う。 性に率うをこれ道と謂う。 道を脩むるをこれ教と謂う。 【性】人間本来の霊性(唯一絶対の根源創造主の分霊) 【率】全体をまとめてひきいる。「率先/引率・統率」、したがう。「率土(そっと)・率由」、あるがまま。「率直/真率」 【道】一点、真理 《解釈》中庸の始めに、「天命とは性(霊:唯一絶対の根源創造主の分霊)に在り、その霊を率いるは道(一点すなわち真理)である。道を修める(習得)を教(学問)という。」と掲げています。 《総括》中庸すなわち人の至れる仁・智・勇とは、極まりない世界を率いる真理を得て、修道しその玄妙で荘厳な使命を実践することにある。 キリストは、ヨハネ 福音書14章6節「わたしは道であり、真理であり、命(性命:いのち)である。わたしを通らなければ、だれも父のもと(天国)に行くことができない。」キリストが十字架で磔(はりつけ)された形象の意味は十字架(一点)が道であり真理であリ、真理によって3日後(3期:青・赤の時をへて白の時、今の時期)に復活する(アセンションし永遠の命を得る)こと伝えてきました。古来「十字」は顔面で切り、真理はその顔面のタテヨコの交わる一点であることを伝えていたのです。 深い意味の一つには、ゴルゴダ(頭蓋骨:しゃれこうべ)で行なわれたキリストの処刑では、人の両眼を意味する2人の泥棒が処刑されたことになっています。「汝姦淫するなかれ!」の姦淫はその目で色(淫欲)を見ることが根になっていることを戒めています。その色の世界(2元世界)から脱することが出来るのは「道であり真理」であり「十字架」であると示されたのです。 仏教の「正法眼蔵」と「色即是空」もまったく同じ意味になります。みなさんの存在を「未来仏」あるいは「如來(にょらい):來るがごとし」と尊崇してきました。 【來】十の文字に人の文字が3人の形象です。 【如】女辺に口の形象です。老子・道徳経に「玄牝之門」という「真理」の玄妙な表現があります。学説では新しい命を生む「女性の性器」になぞらえています。 先史の女神像 儒教に「三人同行すれば必ず我が師あり」三人で行いを共にすれば必ず自分にとって師とすべき者がいると解釈されていますが、「來」の字で表わしているように三人の内の真中の人それが「師」でありキリストであり、真理を得たあなた方の近未来であります。長く深く歴史の中に秘蔵し全宇宙の神々がみなさんに信託する真髄であります。 今日は真理が明らかにされる時代になりました。それはまた、みなさん方聖賢が登場する舞台になります。その時、天は非常に危険な物事をこの世に下されました。天が降ろしたと云うよりも、人の心が人間の世界を危険な世界にしてしまったのではないでしょうか?この時に目覚めた人が出て来て、世界が難儀にあったこの動向に乗じて、この非常時を突破して、新天地、新世界を築いて行こうではないかといった人が出てきます。それは誰でしょうか?それは聖賢たる人達です。 ポジション・地位とは聖人の大宝であり、聖人はその位を尊び大切にして使命を全うします。ところが凡人はその地位を得て、その権力に乗じて貪り、私腹を肥やしてスキャンダルで、その地位から追い出されてしまって辱をかくのは道に背いたからです。 今日、時は至りました。艱難に遇ったときには、その時に応じて適切に道を行ないます。村の人を大事にする、町の人を大事にする、国の人を大事にする、至っては世界の人をも大事にしなくてはいけないと云った考えがなくてはなりません。 今日、道に親しむ熟達者は、昔の聖人・賢人に学んで愛の心と義の心を固めて、責任を全うしていかなければならないのです。勿論、熟達者としての地位を頂いていることは、かたじけなくこの上ないこと光栄なことであり、私たちはいかなる難儀に遭おうとも心を動揺させることなく、誠で処理すれば、天は私たちに援助を与え、このネックを突破することができるようになります。 ある人が問うに「最も困難な誡めは何か?」するとキリストが答えられました。「全ての心、全ての意、全ての霊で、あなたの主である。唯一絶対の天地創造主【上天】を愛し、その上、己を愛するように他人を愛しなさい。」と云うことです。 もし、無我で奉仕する心がなかったら、いくらお祈りしても天地に通ずる理由がありません。また、自分や他人の霊を救うこともできません。 何故なら上天は私達の心の中にあり、又、神が創造なされた一切の物の中、一匹の虫、一匹の蟻の中にも神が宿っておられるからです。 ただ、本当に自分を忠実に愛することのできる人だけが人々の最も必要とするものを与えことができ、人々の霊体を愛して護ってあげることができるのです。そして何時何処にいても心の忠誠を失うことがないようにすることが肝要です。 古の聖人は、天下の未来の変化を予知しておられ、それは人間の知識で円満に治めることの不可能であるということをよく心得ておられ、それらのことは法律や技術で制御することは出来ず、私心で良心に恥じた計画ではなくて、至誠によって、大徳を用いて天にその心結び、天がその徳をかえりみること、恰も、お母さんが赤ちゃんを見守っているようなものであってはじめて人間らしい世界に戻ってくることができるのです。 ある先人の言葉より